町の名は宝円寺といった。そのころはまだ八色と言えば今の八色駅の辺りを中心とした、川向こうの町名であった。宝円寺は今もまだ宝円寺であるが、山上の寺を取り巻く門前町一帯を指す地名として残るのみで、自治体としての宝円寺町は戦後になって姿を消した。
私の生家は牛込で酒屋を営んでいたが、元はその宝円寺の出で、明治の中頃に東京へ越したので、宝円寺には親戚筋が残っているのだった。交流は絶えてはおらず、幼い頃にも兄と共に泊りに行ったりなどしていた。そのような縁もあって、昭和十九年の夏、当時十一歳だった私は戦禍を避けて、この親戚に疎開することとなった。兄を兵役にとられ、店を離れることのかなわぬ父母を残しての単独行であった。
親戚の名は倉科といったが、この家でもやはり長男は戦地に行っていた。主人は役場勤めで、家人はほかに夫人と女学校の娘さんがひとりいるきりであった。この兄妹とは私も兄も仲が良く、ことに娘さん(美也さんという名であった)と兄とは互いに学校を出れば結婚する予定の間柄であった。
倉科の家へ行ってからというもの、休みが明ければ近くの小学校へ転校することになってはいたが、なにぶん休み中に移ったので友達などおらなかった私は、もっぱら美也さんに構ってもらっていた。
美也さんは綺麗なひとだった。白い膚はきめが細かく滑らかで、手をつなぐと心地よかった。艶のある黒髪を束ね、眉は美しく弧を描いていた。なによりも素晴らしいのは目の光であり、本人は気にしているらしい鼻の丸さなども、ともすればきつくなりがちな美しさを和らげてくれる持ち味となっていた。親許を離れていることは不安ではあったが、宝円寺での生活は美也さんと一緒に毎日いられるというので楽しくもあった。それに田舎のことでもあり暮らし向きは快適というわけにはいかなかったが、それでも食料事情などは都市部よりも大分ましなようであった。
ある日美也さんは私を河原へ連れて行った。暑い日だったから、水辺へ行こうというのは自然な思いつきであった。海の近くのことで川幅も広く、流れはゆったりとしていた。水に入るのは危ないというので河原に座っていたが、それだけでもずいぶん涼しい思いがしたのを憶えている。
ふいと私は上流の川べりに婦人の姿を認めた。そのご時世に派手な赤地の銘仙を着て、殺風景な河原には痛いほど鮮明だった。銀杏返しに結った髪はつやつやと黒く、その対照か膚は死人のように蒼かった。婦人のほうでもこちらを認めてか近寄るそぶりを見せたが、それより早く美也さんは河原を立って私の手を引いた。
貢さん行きましょう。そう言われて私に否やはなかった。町のほうへ戻ってくると、美也さんは言った。
「あのひとに近づいてはだめよ」
どうして、と問うと、美也さんは眉根をしかめて言い捨てた。気が狂ってるのよ。
「まえは普通の人だったんだけれど、旦那さんが戦死して、それから小さな息子さんも川へ落ちて死んでしまって、それでおかしくなったの」
かわいそう、と私は思ったままに返したのだった。美也さんは少々困ったような顔をして、
「そうね。気の毒なひとなの。だけど気味が悪いわ。ああやって派手な恰好でふらふらしてるの。だから見かけても近寄っちゃだめよ」
私は肯いて約束した。ところがそれからまた幾日か経ったある日、私はその約束をさっそく破ることになってしまった。
美也さんは家の用事かなにかで忙しく、私はひとりで辺りをうろついていた。以前に一度行ったことのある寺へ登ってみようかと思った。宝円寺の町は山裾に張り付くようにして広がっていたが、坂が急になるにつれて人家はまばらになり、鬱蒼とした木々の色が濃くなっていった。
その寺へ続く一本道の途中に、柾子さんがいた。大人が噂話でもしていたのであろう、私は婦人が安川の柾子さんというのだとなにかの折りに聞いていた。柾子さんはあの日と同じ赤い銘仙を着て、髪を銀杏返しに結っていた。
「真太郎さん」
そう柾子さんは私を呼んだ。最初は自分が呼ばれたのだとはわからなかった。気味が悪いというのはそのとおりで、私は無視して行こうとした。しかし柾子さんは行き過ぎようとする私の手を捉えて、真太郎さん、と呼ぶのだった。
「どこへ行くんです。勝手に出歩いて」
「あの、お寺へ」
手を握る柾子さんの力は驚くほど強かった。なにを言うの、さあおいで。そう言うと柾子さんは道をはずれて、林の中へぐいと私を引き込むのだった。
「ほら、お乳をあげましょう」
胸許をはだけて白い乳房を私の口許へ押し付けた。私はもうなにか得体の知れないぞっとした感じに囚われてしまって叛らうこともできず、かといって乳房を吸うわけにもゆかず、すっかり進退窮まってしまった。そこへ、お柾さんじゃないか、と声がした。なにをしとるんだい。背後に現れたそのひとは私に気づいたらしくああ、と声を揺らがせて、すぐと肩を引いて私を柾子さんから引き離した。振り向いてみれば、寺の住職であった。
「ご住職こそ、真太郎をどうなさいますの」
「よくごらん。この子は真太郎くんじゃあない。倉科の坊やじゃないか」
住職に言われると不満そうだった柾子さんは着物を直そうともせずじっと私を見つめて、それからふいと悲しそうに顔を歪めると、一本道を下って行った。すまんねえ坊や。住職は私に言って、哀れむように柾子さんの後姿を追った。
「あれは気の毒なひとなんだよ」
なんと答えたかは憶えていない。あるいはなにも答えなかったのかも知れない。寺へ行こうなどという気は失せて、私もまた元きた道を下った。倉科の家へ帰っても、柾子さんとの出来事は誰にも話さなかった。約束を破った、禁忌を侵したという後ろめたい気持ちが、心のどこかに巣食っていた。
さてその夜のことである。昼間のことが気にかかって寝つかれなかった私は、用を足そうと思いひっそりと蚊帳を出た。倉科では出征した長男の部屋が私の寝所として当てられていたのだが、そこから便所へ行こうと思うと丁度美也さんの部屋の前を通ることになる。往路にはただ下腹部の重みにだけ意識をとられていた私だが、復路に至ってふと縁に足を留めた。その日も蒸し暑い夜であったから、庭に向いた襖は開け放たれ裡の様子が窺えるのだった。仄かな月明かりに、白っぽい蚊帳が朧ろに浮き上がって、その向こうに美也さんの寝ているのが見えた。
なんだかひどく、蠱惑的だった。
布団の上に横たわった美也さんを、月光を受けて靄のように煙る蚊帳の編み目が取り巻いて、その膚はますます白く、輝いて見えた。暑いのか、綿の寝巻きの襟が少し乱れていた。昼間見た柾子さんの乳房を思い出して、私は固唾を呑んだ。ああ、このひとは兄の嫁になるひとなのだ。なぜか唐突にそう思った。あどけない寝顔から強いて視線を逸らし、私は長男の部屋へと戻った。たったいま目にした光景が焼き付いて、蚊帳の向こうは別世界のように思われて、中々その内へ入る決心がつかなかった。
戦争も疾うに終わって、私は東京に暮らしている。宝円寺にはもうずいぶんと訪れていない。けれどもあの、一連のとりとめもない出来事が、なぜか夏の来るたび淋しく思い出されてならないのである。
| トップページ |